6月30日(月)
暴走する機械、あるいは映画vs.アニメーション
チャーリー・バワーズ セレクション 1(計101分)
チャーリー・バワーズ セレクション 2(計61分)東京初上映
映画史から忘れられ、古物商の売ったフィルムが60年代に再発見されたことで甦ったチャーリー・バワーズ! セレクション1では、バワーズの手描きアニメーションから、実写のコメディまで。キートンを模倣したキャラクターなのだが、大半の作品で発明家を演じる。最初に発明するのは、「割れない卵」をつくり出す奇想天外なマシンだが、人間の思惑を超えて暴走していく。実写の機械の作動に、コマ撮りアニメーション技法(バワーズ・プロセス)が取り入れられ、究極の機械文明論が展開されていく。セレクション2では、バワーズのマシンの最高傑作『生命の機械』と『バナナだらけ』が登場する。前者は文字通り生命を生み出す。後者は滑らないバナナの皮の発明に取り組む。その実験過程が細かく描かれるのが貴重。『イッツ・ア・バード』は、トーキー第一作であり、バワーズ最後の出演作。金属を食べる鳥を探し、世界を旅する。
7月1日(火)
サイレント映画の極北、なぜ私は金縛りにあってしまったのか
絢爛たる衣裳で階段を降りてくるサロメ、驚くことに二色式テクニカラーで撮られている。それは川辺の料理屋でウエイトレスをしている女優志望の娘の夢だった。モノクロに戻った画面は、娘を演じるグロリア・スワンソンの潑剌とした魅惑を描き出す。そこに、蒸気船が停泊し、恋敵となる女優が登場して…。アラン・ドワンの大傑作。
フランク・キャプラと組んでいたハリー・ラングドンが自ら監督を兼ねて主演したコメディだが、これほど悲しいコメディが存在しただろうか。雪のなか行き倒れた若い妊婦を助けたハリーは、献身的に世話をする。そこに、妻を追って夫が現れ、彼女をめぐってリング上でのボクシング対決になる。圧倒的な悪夢的表現に驚嘆させられる。
7月2日(水)
「笑」の共振、はたして瀬川はルビッチを見たか
アメリカ時代には欧州の架空の国を舞台にすることが多かったルビッチだが、ドイツ時代の本作は逆にアメリカの大富豪一族を容赦無く描いてみせる。牡蠣の王の口述筆記のシーンでは、取り巻く葉巻係、コーヒー係、ナプキン係、ブラシ係が次々に口や髪の世話をしていく。その娘の政略結婚の話だが、風刺を超えた面白さが渦巻く。
©︎東映
プロを夢見て、九州から上京する梅宮辰夫以下コーラスグループ四人組。売り込み作戦が開始される。ターゲットはエノケン演じる大物プロモーター。祝賀会場から拉致し接待するシーンの可笑しさたるや。瀬川昌治がチャップリンやルビッチから受け継いだ映画魂が、複雑な生合成を駆使した四人組が増殖するミュージカル場面に結実する。
7月3日(木)
にっぽん不条理対決、あるいは私のふたりの師匠
©︎国映株式会社
大和屋竺が企むのは、時間の消滅である。殺し屋とは、人の時間を止めるのが仕事だ。抱いていた女が人形に変容する。対決の時間が引き延ばされ、不意に襲ってくる。荒野と都会の一室が通底し、空間の距離が拡大したかと思えば、時間は回帰を繰り返す。大和屋が残した4本の劇映画はどれも必見だが、やりたいことをやり切った本作をまず!
©︎1970松竹株式会社
日本のプログラム・ピクチャーでこれほど過激な世界を描いた例は他にない。フランキー堺演じる車掌や駅員は、なぜか女性に誘惑されまくる。それが夢と分かった瞬間、映画館は爆笑の渦となるのだが、それは本当に夢なのか。コメディが一転して、恐怖映画となる。シリーズ11作中、『快感旅行』と共に究極の悪夢を体験できる。
7月4日(金)
アナタハン島の女王は誰か、あるいは映画の創造力
スタンバーグの『アナタハン』の公開の直前に、アナタハン島で32人の男性と日本の敗戦を知らずに過ごした現実の「アナタハン島の女王蜂」比嘉和子を出演させてつくった際物映画。製作の吉田とし子が監督でクレジットされているが、実際の監督は別にいるとも。ともあれ、1953年の公開順に、アナタハン事件を見ていただく。
スタンバーグの最後の作品は日本映画である。それも、彼自身の映画人生を締め括る孤高の美を放つ。南海の孤島で男たちに囲まれて過ごす女王蜂ケイコに、日劇ダンシングチームで見つけた根岸明美を抜擢。スタンバーグは、拳銃を持つ王の出現によるケイコと男の関係の変化を見つめる。島に舞い落ちる紙の爆弾に、スタンバーグ映画の刻印が押される。
1992年に当センターでの『アナタハン』上映会ゲストで来館された根岸明美さんのトーク映像。根岸さんは公開から39年後のこの会ではじめて完成作品をご覧になった。当日のプリントがアメリカ公開版だったので、吹き替えのヌード・シーンに驚かれ、率直な物言いが観客の爆笑を誘う。スタンバーグとの交友が語られる貴重な記録となった。
7月5日(土)
1980年代に映画を撮り始めること、もしくは時代から迷うこと
遊園地という出来合いの迷路をさまよう三組のカップルと一組の子供。彼らの 錯綜した行き違いは、オーソン・ウェルズの記憶を留める「鏡の間」で頂点に達するが、巧妙な「つなぎ間違い」によりアラン・レネの時空へと漂い、いくつかの平手打ちを経て、魔法のようにハッピーエンドへと解きほぐされる。長篇第一作。
東京造形大学の3年次の課題として、ゴダールの『気狂いピエロ』の影響下に撮られた8ミリ日記映画。実際に、1日に1日分のシーンを撮っていった。実際の恋人だった二人を使い、逃走劇としてのフィクションを構築と同時に解体していく。浅草花やしきの観覧車の場面をはじめ、撮影を兼ねる諏訪の映画的感性が横溢した傑作。
即興的な集団創作で知られる劇団、遊◉機械/全自動シアターとともに、映画における演劇性とは何かを追求した実験的試みにして娯楽作。マルクス兄弟的ナンセンスが炸裂する秋刀魚の手術シーンや、たった一枚のスカーフによって一組のカップルの数十年間を表現してしまう叙情的なメキシコ料理屋のシーンが圧巻の革新的傑作。
日本から一歩も出ずにルイス・キャロルの作品世界を忠実に再現した3D映画(今回は2Dでの上映)。アリスが裁判にかけられる場面で画面を横切るトランプの乱舞はオプチカル処理され(CGではない)、筒井の狂気の映画愛をうかがわせる。映画史上、数ある「アリス」映画の中でも演出の厳格さではトップクラス。映画のアルチザンとしての手腕が光る幻の逸品。
筒井流「ゲームの規則」。怪盗ゆめことマッド・サイエンティストが乗る気球は、メリエス的な世界一周の旅へと出発し、二人の熱いキスで北極熊を驚かせ、巴里の夜景へと私たちを誘う。さらに偽りの遠近法の中の追跡劇は、映画が作り物の真実であることを指し示す。無声映画への深い愛と該博な知識に裏づけされた初期代表作。